これが、現実。今、地球人口の約2割(12億)の人々が、一日1ドル以下の生活にあえいでいます。下位所得層47%(25億人)の年間所得は、世界の上位225人の資産とほぼ同じです。 途上国の6割以上の人々が、下水・糞尿処理設備といった基本的な衛生設備を持っておらず、 約3割が安全な水を、 約2割が十分な保健医療サービスを利用できません。 こんな声があります。 「貧困者は、怠け者で、無計画で、無知で、愚かで、自ら問題解決しないから、貧困者になる。」 しかし、事実は全く違います。 彼らはむしろ勤勉で我慢強く、独創性に富んでいます。 なのに、何故彼らは貧困から抜け出せないのでしょうか? それは、彼らが、「貧困の悪循環」に常に直面しているからです。 生きられるぎりぎりのやせた土地しか持たない。 大家族を抱えた父親は過剰で低賃金な仕事しかさせてもらえず、 母親や娘は劣悪な家屋の下で、水汲み・薪割り・育児など、 家事だけで一日が終わってしまいます。 その為、学校にも行かせてもらえません。 子供は、家庭における重要な労働力なのです。 これで、どうやって社会進出できるというのでしょうか? また、政治に関わる権利すら、貧しい人々は持たない。 貧困問題が今私たちの間で謳われている事など、彼らは知りません。 貧困問題は、現場のはるか関係のない所で、 しかも本人達の知らない所で勝手に進められているのです。 これで、本当に貧困問題が解決できるのでしょうか? 経済・教育・社会・政治に関する権利を絶たれた彼らは、 災害、紛争、犯罪などに対応する力がありません。 私達なら、もしお金がなくなっても家族・親戚などのつながりから、 貸してもらう事ができたり、国の保障も行き届いており、 命にかかわる事はまずないでしょう。 しかし、貧しい人々は親戚との通信も途切れ、国の保障とは無縁です。 病気にかかれば病院があるし、 ケガをすればまず清潔な水で洗い血をとめるといった、 簡単なケガの処理知識もあります。 それは、私たちが学校で習ったりテレビで見たりすることが できるからなのです。 病院にかかるお金もなく、ケガの処置の知識を持たない彼らは、 小さな傷も化膿してひどくなってしまう事もあります。 彼らのできる処置法と言えば、神に祈る事しかないのです。 スマトラ沖地震も、もし彼らが十分な教育を受けていれば、 被害はもっと小さかったと考えられています。 津波の時、何も知らない彼らは、一気に潮が引き、大量に現れた魚を喜んで捕りあさりました。 潮が急激に引いたら、それは津波の前兆だと、知らなかったのです。 「愚かだ」と思う人もいるかもしれませんが、 学校・本・テレビといった教育・情報を手に入れる事のできない彼らが、 どこからそのような知識を得ることができるというのでしょうか? その一方、我々先進国の人間は、豊かさと幸せを求めて、 日々働きお金を稼ぎ、その代償としてたくさんの物を買う。 日本のコンビニや百貨店に所狭しと並ぶ大量の商品── あれだけの商品が、我々が幸せな生活を求める上で、本当に必要なのでしょうか? アメリカでは80年代から「クレジット社会」で、 カードを何十枚も作っては、高級車を2台も3台も持ち、 趣味の高価なバイクやクルーザーを買い、 不必要な住宅リフォームを何度も重ねる。 それでも先進国の生産者達は満足せず、生産拡大を続けています。 それに続き、消費者もどんどん物を買いあさります。 世界の商品販売のための広告支出費は、4350億ドルに達します。 これは、途上国の基礎教育にかかる費用の70倍以上にあたります。 もはや、消費の奴隷と化してしまっているのです。 物欲という悪魔に、完全に支配されてしまっています。 しばしば、この世はタイタニックの船にたとえられます。 「三頭船室が沈めば、一等船室が浮き上がる。」 つまり三頭船室とは貧困国、一等船室は先進国。 まさに今、世界はこの状況なのです。 日本で、誕生日に1,2万円もするプレイステーションを買ってもらう子供達がいる一方、 海の向こうでは貧しい子供達が、食費の数十円を稼ぐのに、 朝から晩まで必死に働いています。 そのため学校も行けません。 それでも、働く子供達は笑顔を絶やしてはいませんでした。 親のために、たくさんの兄弟のために、笑顔で水を汲んでいました。 ほとんどお金にならない小物を、愛想よく売り歩く子もいました。 幸せとは、一体何なのでしょうか。 |